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豆知識

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家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

    "友禅の傘 花開く彩り めいてつ・エムザ 和柄の特設売り場

    • 五十種類もの和柄の傘を集めた特設コーナーが、金沢市の百貨店「めいてつ・エムザ」に設けられている。九月上旬まで。
       強い雨風にも耐えられる「グラスファイバー」を骨組みに用いたものや、甲州織の生地を使ったものなど多彩な商品が並ぶ。加賀友禅の生地を一部に取り入れた長傘は、二年前に特別に作られた。シルクへの防水加工はコストがかかるため珍しいという。
       店員は「国産の手作り傘は国内でも数社しか扱っていない。物を大切に使う金沢の人に、いい物を長く使ってもらいたい」と来店を呼び掛ける。 (中日新聞より)
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    "両陛下、幕末維新の展覧会ご覧に

    •  天皇、皇后両陛下は29日午前、皇居・三の丸尚蔵館で開催されている展覧会「明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視−一代絵巻が物語る幕末維新」をご覧になった。
       展覧会は、明治天皇を支えた三条実美と岩倉具視が果たした役割を絵巻を通して紹介。両陛下は、案内役から説明を受けながら熱心に見て回られた。(産経ニュースより)
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    "最後の大名"の生々流転

    •  書名を見てわかる通り、明治維新を乗り越えた「殿様」がどう暮らしたか、というネタを歴史学者が集めた本で、大量の「大名」様が、明治維新にあって、ヒドイ目にあう、ちゃっかり切り抜ける、ぼう然としている、などの様が紹介される。突然領地を没収された殿様が、どう身を処し、家来を守っていくか。一種のビジネス書として読むことも可能だが、そんなことよりも「殿様が右往左往している」のを面白く読むほうが楽しい。
       会津藩の松平容保や土佐藩の山内容堂など、時代劇に出てくるような有名大名から、広島藩の浅野長勲、米沢藩の上杉茂憲、徳島藩の蜂須賀茂韶といった「幕末史的にそれほど有名じゃないが名の知れた大名」の有り様が書かれている。上杉茂憲が沖縄県令になって、独特の(住民を苦しめる)貢租収奪システムの改革に手をつけ、あたかも上杉鷹山のやったように「沖縄を立て直す」気持ち満々だったのが、熱意がありすぎて辟易されて途中で挫折したとか、知りませんでした。(後略) (ブック・アサヒ・コムより)
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    月照・信海上人の記念碑移築で式典/善通寺

    •  善通寺市教委は香川県善通寺市吉原町が生誕の地とされ、西郷隆盛とともに幕末、明治維新に活躍した月照、信海両上人記念碑の移築に伴う記念式典をこのほど、同町で開催。月照上人が住職を務めた清水寺(京都市)の坂井輝久学芸員らが参列し、両上人の遺徳をしのんだ。(後略)(四国新聞社より)
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    "明治維新150周年記念事業を開催(山口商工会議所)

    •   山口商工会議所(山口県)は25日、市内の「山口菜香亭」にて明治維新150周年記念事業として「維新寺子屋 講談の夕べ」を開催する。上方講談師の旭堂南左衛門さんの講談と、松前了嗣さんによる解説で、「侍の洋行―若き日の伊藤博文と井上馨―」「袖解橋の御難―井上馨―」の二演目を上演。150年前の山口で起こった大事件を通じて激動の時代の一端に触れてもらう。(日本商工会議所ニュースラインより)
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    "幕末の歴史語る3247点、萩市へ寄贈

    •  幕末の歴史をひもとく貴重なコレクション計3247点が、下関市の元古美術商、小川忠文さん(74)から萩市に寄贈された。小川さんは4日、萩市役所で一部を披露した。市は明治維新150年(2018年)の前年4月にも、明倫小学校の旧校舎で公開する。
       小川さんは、53年間かけて萩に関する古い資料を集めてきた。「日本の近代化の礎となった幕末維新期の科学技術や歴史遺産の研究、次代への継承に活用してほしい」として、市に寄贈することにした。
       コレクションは多岐にわたっており、軍事分野では、長州戦争で長州軍の主力となった新式の輸入銃「ミニエー銃」や、幕府軍を支えた旧式の輸入銃「ゲベール銃」、陣羽織などの武具もそろえる。(朝日新聞より)
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    9月の企画展で坂本龍馬の書状初公開 福井県立歴史博物館

    •  福井県は24日、幕末の志士、坂本龍馬(家紋=組み合い角に桔梗)(1835〜67年)が暗殺される直前、土佐藩重臣の後藤象二郎(家紋=三つ藤巴)に宛てた手紙の草稿を県立歴史博物館で公開すると発表した。龍馬が福井藩を訪れ、三岡八郎(由利公正)と語り合った新政府構想などが書かれたもので、今年4月に発見されたばかり。
       高知県外での展示は初めてで、9月11日から10月5日まで由利公正をテーマにした企画展で公開される。
       三岡は福井藩士で横井小楠の影響を受けて藩の財政立て直しに尽力。維新後は由利公正と名を改め、明治天皇が新政府の基本姿勢を示した「五箇条の御誓文」の起草にも参画、東京府知事も務めた。
       草稿は龍馬が後藤の依頼を受けて福井藩を訪ねた報告書にあたる。龍馬は三岡と大政奉還後の徳川家のあり方や新政府の財政問題を論じ、「新政府の財政担当は三岡八郎以外に他は無し」と高評価している。
       高知県立坂本龍馬記念館の担当者は「県外では福井県が初。内容からも福井県での公開は有意義と思います」としている。(後略) (産経ニュースより)
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    松下村塾や軍艦島を世界遺産に!

    •  先月、登録された富岡製糸場に続いて、世界文化遺産の登録を目指します。明治維新や近代化をリードした北九州市の八幡製鉄所、山口県萩市の松下村塾、さらに長崎市の軍艦島など「九州・山口の産業遺産群」30カ所を国内外へアピールする国際会議が始まりました。(後略)(テレ朝ニュースより)
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    しなの鉄道:真田氏の家紋「六文銭」をあしらった列車「ろくもん」運行

    • しなの鉄道(長野県上田市)は11日、長野−軽井沢間を結ぶ同社初の観光列車「ろくもん」(3両編成)の運行を始めた。
       ろくもんは、同社がJR東日本から譲り受けた車両「115系」を改装した。豪華列車のデザインで知られる工業デザイナー、水戸岡鋭治さんが担当し、外観は戦国武将・真田幸村の「赤備え」をイメージした濃い赤を基調に、真田氏の家紋「六文銭」などを金色であしらった。内装にはカラマツなど県内産材を使った。(後略)(毎日新聞より)
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    キキョウ夏の輝き 亀岡で見頃

    •  京都府亀岡市宮前町猪倉の観光園「ききょうの里」で、約5万株のキキョウの花が見頃を迎えている。
       明智光秀とゆかりがある近くの谷性寺の檀家が中心となって、明智家の家紋でもあるキキョウを約7千平方メートルの休耕田で育てている。
       趣味の写真撮影で訪れた亀岡市千代川町の川北善司さん(72)は「雨上がりにしずくが滴るキキョウの青い花がきれい」と喜んでいた。(後略)(京都新聞デジタル晩より)
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    山口県など、関西で幕末維新講座

    •  山口県などは関西で「長州」をテーマにした幕末維新講座を3回にわたって開催する。2018年に明治維新150年を迎えるのを控え、県などは観光客誘致を強化している。講座により明治維新の舞台の一つとなった関西で、山口県のファンを増やす狙いだ。
       県、関西山口県同郷会、京都山口県人会などでつくる「やまぐち幕末ISHIN塾 in関西実行委員会」が同志社大学今出川キャンパス(京都市)で開く。7月26日、9月23日、12月13日の3回で講師は同志社大名誉教授と助教。テーマは「幕末という時代 長州藩が日本の夜明けをどう生きたか」など。(後略)(日本経済新聞より)
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    提灯の家紋描き、忙しく 唐津

    •  唐津市の「まこと提灯(ちょうちん)製造所」では、迎え盆と送り盆に使う提灯作りに追われている。
       作り置いていた大、中、小約300個に、注文に応じて家紋を描き入れる。家紋は前側に赤色で、後ろ側に黒色で描き入れる。盆入りは先祖の霊を赤色の家紋で迎え入れ、盆明けは同様に黒色で送るという。
       8月になり家紋描きが一段落すると、提灯の作り置きが再び始まるという。(朝日新聞デジタルより)
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    ホテルの小さな『美術館』 ロビーギャラリーの展示予定

    • ■夢の世界 大木美津江とメンバーズコレクション
       デコパージュ&シャドーボックス展
        7月11日(金)〜19日(土)
       イタリアで始まっデコパージュの技法に心ひかれ、その魅力を主宰する教室で広く伝えてきた作者。今回は家紋など、和のモチーフを取り入れた作品も多数ご覧いただけます。(CNETより)
      CNETサイトはこちら

    西陣の伝統を受け継ぐ京都の帯作り

    •  織田信長の葬儀が行われたことで知られる京都・大徳寺の南で、帯地を自社生産する「田中伝」。家紋を入れたものや手頃な反幅帯(はんはばおび)などが人気を集めているという。ずらりと並んだ色とりどりの帯は圧巻だ。さらに帯の生地から作られるジャケットや鞄などアイテムは多岐にわたる。築100年の町屋を利用したギャラリーでは、着物のレンタルも行っている。着物や浴衣で京都の街に溶け込んでみるのも、オツな楽しみ方だ。(朝日新聞デジタルより)
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    日本の幕開けぜよ 龍馬像に代表ユニホーム 高知

    •  サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、15日(日本時間)に初戦を迎える日本代表を応援しようと、ユニホーム姿の坂本龍馬像が14日、高知市に登場した。
       県立坂本龍馬記念館が、実物大のブロンズ像「シェイクハンド龍馬像」に、坂本家の家紋が入ったユニホームを着せた。
       観光客たちは、用意されたトロフィーなどと一緒に記念撮影しW杯気分を盛り上げていた。日本戦にあわせてユニホーム姿で登場する。(朝日新聞デジタルより)
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    官兵衛定めた軍旗初公開…家紋入り8年ほど使用

    •  5月18日は「国際博物館の日」。福岡市内の博物館や美術館計11施設がこの記念日にちなんで、館の魅力をアピールする特別企画「福岡ミュージアムウィーク」を25日まで開催している。
       注目を集めているのは、福岡市美術館(中央区)で福岡藩祖・黒田官兵衛が定めた軍旗(縦約4メートル、横約1メートル)。1978年、黒田家が市美術館に寄贈した黒田家ゆかりの品の一つで、初公開だ。
       軍旗は、官兵衛が1580年に定めたとされる。白地の旗の上下を黒く染め、上の黒地部分に黒田家の家紋の一つ「永楽銭紋」を白く染め抜いている。陣営の印として使われ…(後略)(yomiuri onlineより)
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    家紋の起源 平安貴族が自分の牛車を探す目印に利用との記録

    •  一説には10万種類あるともいわれる「家紋」。古くより自らの家系、血統、家柄、地位を表わすために用いられてきた紋章だが、ここまで多種多様な広がりを見せるのは日本だけである。
       家紋の起源は、平安時代中期に遡る。『愚管抄』(1220年)に白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いたと記されているのが最古の記録だ。自分の牛車を探す際の目印に用いたといわれ、ほかの貴族たちも真似て、独自の紋を作り、牛車や衣類などにつけるようになった。
       それがやがて家を表わす標章に発展していく。当時の家紋は、…(後略)(NEWSポストセブンより)
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    サッカー日本代表のエンブレムは熊野本大社宮の神紋・八咫烏

    •   1か月後にはブラジルでサッカーW杯が始まるが、日本代表のエンブレムが家紋に由来するのはご存じだろうか。「三本足の烏」は、熊野本大社宮の神紋で、太陽の化身といわれる八咫烏(やたがらす)。神武天皇を大和まで導いたとされ、輝く未来へ導いて欲しいとの願いが込められている。
       家紋が由来の身近なデザインといえば、世界のトップブランド、ルイ・ヴィトンを象徴する柄「モノグラム」も、実は日本の家紋が…(後略)(NEWSポストセブンより)
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    須恵焼に「藤巴」 黒田家家紋、官兵衛の逸話も

    •  福岡藩・黒田家の家紋「藤巴ふじどもえ」が染め付けされた須恵焼が、須恵町立美術センター「久我記念館」で展示されている。福岡藩が開発した須恵焼は、明治期に製造が途絶えた"幻の磁器"。藤巴を巡っては、藩祖・官兵衛(如水じょすい)らにまつわる様々なエピソードがあり、同館は「美しい磁器を見て、郷土の歴史に思いをはせてほしい」と来館を呼びかけている。(中略)
       福岡市博物館の宮野弘樹学芸員によると、黒田家が藤巴を家紋に採用した理由は諸説ある。官兵衛が仕えた御着ごちゃく城(兵庫県姫路市)城主・小寺家が使っていた藤巴と「三つ橘たちばな」を組み合わせた家紋から三つ橘を取り除いて受け継いだとする説や、官兵衛の子で初代藩主・長政が、母・光が使っていた藤巴を気に入って採用したとする説もある。(後略)(ヨミウリオンラインより)
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    家紋入り着物で出直し誓う

    •  先場所9勝に終わった大関・稀勢の里が、装いを新たに出直す。この日、東京都墨田区の田子ノ浦部屋に昨秋オーダーした着物が届いた。
       実家の家紋入りで「思っていた以上の出来栄え。気持ちを新たにということで。初日から着たい」とご機嫌だった。稽古では右の前まわしを取ってから頭をつける動きを繰り返し、納得の表情。夏場所は04年に新十両で迎え、幕内では2度の13勝がある。「そういう意味で験がいい場所」と前向きだった(スポニチアネックスより)
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    雑記帳:新田義貞の故事にちなみ鏑矢祭

    •  鎌倉時代末期の武将、新田義貞が倒幕の旗揚げをしたとされる群馬県太田市の生品(いくしな)神社で8日、故事にちなんだ鏑矢(かぶらや)祭があり、地元の小6男子54人が鎌倉の方角に向かって矢を放った。
       義貞は1333年5月8日に挙兵した際、北条氏との戦の吉凶を鏑矢で占ったという。祭りでは神事の後、男児らは新田氏の家紋「大中黒」のハチマキとはかま姿で弓を持ち、りりしい表情で南を向いた。後略(毎日新聞より)
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    提灯の家紋描き、忙しく 唐津

    •  唐津市の「まこと提灯(ちょうちん)製造所」では、迎え盆と送り盆に使う提灯作りに追われている。
       作り置いていた大、中、小約300個に、注文に応じて家紋を描き入れる。家紋は前側に赤色で、後ろ側に黒色で描き入れる。盆入りは先祖の霊を赤色の家紋で迎え入れ、盆明けは同様に黒色で送るという。
       8月になり家紋描きが一段落すると、提灯の作り置きが再び始まるという。(朝日新聞デジタルより)
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