家紋市場家紋マークのドームシールやキーホルダーを作っちゃおう!!
お目当ての家紋を探して、家紋の立体シール(エンブレムシール)メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーを注文できます。

ドームシール、メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーをあなたの家紋で作成いたします。
家紋市場

ニュース

姉妹サイト「和市場」では様々な家紋グッズを販売致しております。

下記バナーより「和市場」へもお越し頂けますようお願い申し上げます。

和市場:家紋グッズいろいろあります

 

おすすめ商品

 

家紋入り御朱印帳
家紋額 ー円(つぶら)
家紋入りアルミスライドカードケース
家紋エンブレム
家紋入り隈取りストラップ3025
家紋蒔絵シール

「和市場」ではこの他にも沢山の家紋グッズをご用意しております。

熊本城復旧、郡上八幡城が支援 御朱印の売上寄付

 岐阜県郡上市八幡町のシンボル、郡上八幡城を管理する郡上八幡産業振興公社は、昨年4月から約1年間発行してきた来場記念の「御朱印」の売上金の全額約135万円を、熊本地震で被災した熊本城の復旧支援金として29日に熊本市へ寄付する。売れ行きは予想以上で、当初目標だった60万円(2千枚)の2倍以上の成果。御朱印発行を担当する同公社の小木曽匡さん(33)は「思った以上に反響があった」と感謝し、新年度以降も御朱印の発行と支援を続ける。
 御朱印は縦15、横10センチ。美濃和紙に「登閣記念 郡上八幡城」と記し歴代城主の家紋の判が五つ押されている。1枚税込み300円。(後略)(ヤフーニュースより)

詳しくはこちら またはこちらをどうぞ

杉島さん最優秀賞 「ギフ・チョウネクタイ」デザインコンテスト

 ギフチョウにちなんだちょうネクタイのデザインを募集する「ギフ・チョウネクタイ」デザインコンテストの表彰式が11日、岐阜市長良福光の長良川国際会議場で開かれ、青山中1年杉島聖さん(13)の作品が最優秀賞に輝いた。(中略)
 今年1月末にぎふメディアコスモスで行われた市民投票で最も支持を集めたとして、同短大1年塚本志織さんの、織田信長の家紋をあしらったデザインが信長公450特別賞に選ばれた。 (後略)(ヤフーニュースより)

詳しくはこちら またはこちらをどうぞ

桔梗紋は反骨と悲劇の家紋「桔梗紋」

 元々は、清和源氏流土岐氏の使用紋であった。
一族の明智光秀は、主君の織田信長を襲撃した本能寺の変の後、>羽柴秀との山崎の合戦に破れ、最期は土民の竹槍にさされて死んだ。
 水色の桔梗紋は、明智の印として、栄光の目印から一気に、反逆の、そして悲劇のイメージを帯びるようになった。
 時が経ち、その水色の桔梗紋をシンボルマークとして、急成長するも、最終的に倒産してしまった会社が現れる。

 英会話のNOVAである。NOVAは英会話産業というニッチな市場を、「駅前留学」というコンセプトで開拓。時代の寵児ともてはやされた。しかし、その急成長の影で会員との間で様々なトラブルが発生していたのだ。それが元で悪評判が広まり、一方で社内の不正も発覚。急速に収益が悪化、一気に倒産してしまった。
 その後、名古屋市の学習塾経営会社、ジー・コミュニケーションが事業引継を行うのだが、NOVAから桔梗のマークは消えた。
 桔梗紋の全国分布では、鹿児島が3位、和歌山が6位、本家の岐阜では7位である。 (参照:一本気新聞)

女紋とは?

 婦人の礼服につける紋はいずれの場合も「女紋」をつける。
 家紋はもともと「家」と苗字の独自性を象徴したマークであり、家中がひとつの同じ紋を使うのがたてまえである。しかし、封建時代は男子専用とされていた。それが江戸時代になると、女性専用の女紋が生まれた。
 最初は嫁入りの際に持参する道具や調度品に実家の紋を使い、結婚後もそのまま使用した。さらに女児が生まれると母方の家紋を受け継ぐというかたちで定着し、実家の定紋となんらかの因縁のあるものを選ぶ風習が生まれていったようだ。
 女紋は定紋に比べて小形のものが多く、格式ばった形より細い線で描いた優美なものが好まれた。「陰紋」や「中陰紋」と呼ばれる複線(陰線)で描かれたもの、糸輪という細い外郭円の中に紋章の一部だけを表わして全体を見せない「覗き」と称するものなどは女紋に使われることが多い。
 この女紋の扱いは地方によって違うようだ。結婚したら嫁入り先の家紋を用いる地方と、尾張地方では、先述のように嫁が母の紋を持ってきて、これを嫁の紋として、その娘が嫁ぐときまたこの紋を持っていく地方とがある。
 しかし、現在では嫁ぎ先の定紋を女紋としてつけるよになっていることが多いようだ。 (播磨屋.comより)

こちらのサイトより流用させて頂きました

水戸黄門に武田鉄矢のナゼ 「金八」風に悪人を説教?

 テレビ時代劇「水戸黄門」(TBS系)の6代目に俳優・武田鉄矢さん(67)が選ばれたことに、違和感を訴える声が続出している。(中略)
 …主・徳川光圀の隠居後の諸国漫遊を描いた作品。悪政を行う大名・代官に自らの家紋を刻んだ印籠を見せつけ、糾弾する。時代劇の定番として愛されてきた勧善懲悪の… (後略)(ヤフーニュースより)

詳しくはこちら またはこちらをどうぞ

ドバイで着物アバヤのコレクション開幕 オープニングに点前の披露も

 アラブの女性用伝統衣装であるアバヤに日本の着物を取り入れ独自のスタイルを提供する「Chi-ka Collection」で3月13日、着物に施された伝統色に焦点を当てたコレクション「Colour Code」が始まった。(中略)
 …扱う着物アバヤは全て日本製で、職人による手作りのもの。振り袖や付け下げ、家紋入りの留め袖など種類もさまざま。共同ファウンダーのニナさんは、同コレクショ… (後略)(ヤフーニュースより)

詳しくはこちら またはこちらをどうぞ

三菱マークのルーツ 重なった山内・岩崎両家

 カメラの望遠レンズでのぞきこみ、ようやくわかった。「?」を横に寝かせたようなマークが3つ重なっていた。「三(さん)階(かい)菱(ひし)」という家紋である。三菱グループの創始者、岩崎弥太郎の生家わきにある土蔵の鬼瓦に刻まれていた。(中略)
 岩崎家は長宗我部氏の家来の血筋をひく郷士で、掛川から落下傘のように落ちてきた山内家とは縁はない。弥太郎の父親の代に家計が困窮し、郷士格を売りはらったため、身分上は下士以下の地(じ)下(げ)浪人だった。苗(みょう)字(じ)帯刀だけが許されていた。そんな身分の岩崎家の家紋と山内家の家紋が、なぜ重なったのだろうか。

産経ニュース

以前の豆知識

 

 

和市場:家紋グッズいろいろあります

家紋入りiPhoneケース

家紋入りガードフィルム

家紋額 ー円(つぶら)

家紋エンブレム

陶器製家紋入り楯

家紋ストラップ長方形3025

「和市場」ではこの他にも沢山の家紋グッズをご用意しております。

紋柄別に家紋を探す

 

 

ご希望の家紋がみつからない!!
数種の紋柄を組み合わせてオリジナル家紋を作りたい!!
ストラップ(マツバ)にして作ってほしい!!
など、お気軽にお問い合わせください。

姉妹サイト「和市場」でもその他家紋グッズ色々あります。

お問い合せ

家紋とは古くから伝わる大切な家の印で、平安中期以降、公家が用いた興車や束帯などを他人と区別することを目的として使用されるようになり、いつしか世襲となりその家の紋章となったものです。
その後、武家の時代になるとともに馬印・指物・幌・幕・衣服・調度品などに家紋を表示するようになりました。
2万種とも3万種類とも言われている、日本で育まれた伝統文化の一つですが、家紋には著作権がなく(一部例外あり)だれでも用いる事が出来ますので、皆様もぜひ家紋グッズで楽しんでみてはいかがでしょうか。

戦国BASARA

おすすめ商品

家紋スタンド・楯 家紋携帯クリーナー 家紋ひし型キーホルダー 家紋メタルドームキーホルダー大 家紋ストラップ風雅G 木曽檜一合枡

まめ知識

家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

前回までのまめ知識

  • もっと「家紋」を知りたい。という方へ
    今や入手困難な文献、書籍、紋帖など。また手に入れるにしても高額なもの、などもありますが「もっと深く家紋とつきあいたい」とおっしゃる方へのインフォメーションとして下記をご紹介しておきます。 お買い求め、または図書館等での閲覧の一助にして頂ければ幸いです。

    『見聞諸家紋』戦国時代

    『女中達紋尽』元禄10年(1697)
    『風流替紋づくし』延享年間(1744〜48)

    『早引紋帳大全』文政7年(1842)
    『風流紋帖早見大成』文久年間(1861〜64)
    『図解いろは紋帖大成』不明(昭和8年復刻版)
    『伊呂波引紋帳』明治14年(1881)
    『広益紋帖大全』明治24年(1891)
    『紋かがみ』明治36年(1903)
    『紋の志おり』明治39年(1906)
    『紋づくし』大正4年(1915)
    『紋之泉』大正15年(1926)
    『江戸紋章集』昭和2年(1927)
    『紋典』昭和7年(1932)
    『標準紋帖』昭和10年(1935)
    『平安紋鑑』昭和11年(1936)

    『日本紋章学』大正15年(1926)
    『綱要 日本紋章学』(普及版)昭和3年(1928)
    『紋章の研究』昭和15年(1940)
    『日本紋章大図鑑』昭和53年(1978)
    『紋章の再発見』昭和55年(1980)
    『日本家紋総鑑』平成5年(1993) 『紋帖による紋の違い』平成9年(1997)
    『都道府県別 姓姓家紋大事典』平成16年(2004)
    『家紋の事典』平成20年(2008)

以前の豆知識

 Answe of Twitter

答え10036
足利尊氏の家紋は「足利二つ引両」。室町幕府の創設者。後醍醐天皇の挙兵の際、鎌倉幕府側として軍を率いて上洛したが、途中で反幕府を掲げて六波羅探題を攻略し、幕府に大打撃を与えた。後に後醍醐天皇と対立、征夷大将軍となり後の室町幕府を開いた。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10035
竹崎季長の家紋は「三つ目結に吉文字」。肥後国の御家人で阿蘇氏の一族。元冠における戦功の恩賞がないことを不服として鎌倉に出向き、幕府ヘ直訴。その結果、肥後国海東の地頭に任命された。元冠での自らの戦功を描かせた『蒙古襲来絵詞』でも知られる。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10034
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元寇での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10033
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元冠での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10032
少弐景資の家紋は「寄掛目結」。筑後国の豪族。父や兄とともに、文永の役を戦う。この中で、敵将の劉復亭を矢で射止める武功を挙げた。これが認められ北九州に勢力を拡大したが、後に兄との家督争いに敗れ、命を落とす。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10031
和田義盛の家紋は「七曜」。三浦氏の一族で、頼朝の挙兵に参加。初代侍所別当を務め、頼朝の信頼も厚かった。頼朝の死後、有力御家人の失脚追放で北条氏に荷担するものの、自身も北条義時によって挙兵に追い込まれ、討ち死にする。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10030
宗像長氏の家紋は「丸に一つ柏」。宗像氏は筑前国の名族で、古くは玄界灘付近の海域を支配した海洋豪族である。また、宗像大社の大宮司家という役もあった。四十八代の長氏は弘安の役での奮戦により、幕府から肥前国神埼郡を与えられている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10029
佐々木信綱の家紋は「平四つ目結」。源平の合戦で頼朝を助けた佐々木定綱の子で、宇治川の戦いの先陣争いで知られる佐々木高綱の甥。承久の乱に幕軍として参加し宇治川で武功を挙げ、官軍側についた長兄に代わって近江地方の地頭職を得る。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10028
三浦義村の家紋は「三つ引両」。源氏方として挙兵し、鎌倉幕府成立後には北条氏に並ぶ力を持つ重臣となる。権力争いへの介入に積極的で、梶原氏、畠山氏、和田氏ら有力御家人の排斥に関わった。北条氏とも水面下で火花を散らしている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10027
畠山重忠の家紋は「村濃」。頼朝の忠勇の士として知られる。当初は平家方に属したが、後に頼朝に臣従。知勇を備えた武将であり、幕府創設の功臣となる。頼朝の没後、頼家の後見人を任されるが、初代執権の北条時政によって謀殺された。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10026
比企能員の家紋は「丸に割り菱」。頼家に娘を嫁がせ将軍の外戚として権力を持ち、その台頭を快く思わない北条時政・義時と対立を深める。これが「比企の乱」につながり比企氏は滅亡するが、実際には北条氏の大軍が一方的に攻め込んだものである。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10025
北条義時の家紋は「三つ鱗」。鎌倉幕府の二代目執権。武力と謀略で北条氏の権力強化と武士政権の確立を図った。後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮めると、朝廷の監視機関である六波羅探題を設置して、朝廷と幕府の力関係を逆転させた。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10024
結城朝光の家紋は「左三つ巴」。小山朝政の異母弟で、頼朝の乳母を母に持つ。頼朝から下野国結城の地を与えられ、結城と名乗る。若い頃から念仏に傾倒しており、晩年は出家して信仰に生きた。それゆえ、幕府の内紛には巻き込まれることがなかった。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10023
答えは「日月(じつげつ)紋」。菊紋は後鳥羽上皇が用いはじめ、その後宇多天皇のときに正式な紋章と定めらましたが、もともとの家紋は「日月紋」で、現在も皇室で使用されています。
答え10022
小山朝政の家紋は「左二つ巴」。頼朝の挙兵に呼応し早々に参戦、一貫して源氏側に立って戦功を挙げてきた。その後、下野国の守護に任命される。父・政光の後妻は頼朝の乳母で、頼朝の平家打倒の書状に応え、実子・朝光を伴い参じている。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)
答え10021
熊谷直実の家紋は「ほやに鳩」。頼朝に仕え活躍し御家人となるが、もとは平家方の武将であった。石橋山の戦い(1180(治承4年)8月)で敗れ山中に身を潜めていた頼朝を見つけるが、洞窟に潜ませほや(ヤドリギ)で入口を隠し、彼をかくまったという逸話が残る。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)

以前の答え

ページトップへ
特定商取引法の表示プライバシーポリシーサイトマップ